パンプスがないと生きられない

プリプリプリティな彼に再びどハマりした今野貴之系ジャニオタの綱渡りの日々

三つ子の魂百まで

私という人間の基盤は、4歳の時に身を投じた伝統芸能の世界の中で形作られた。

その世界に身を投じると決めたのは、他でもない自分の意思だった。保育園のひとつ上のお姉さんに憧れて始めたその習い事は、今や私という人間を形作る最大のファクターであり、以前の記事に書いた「何でも屋」業のひとつとなっている。

例えば私が「三代目」と聞いて、一糸乱れぬパフォーマンスが美しい彼らより、どこかの流派の三代目の先生を想像してしまうのも、好きな文化人・芸能人枠に「何と表現していいかわからない枠」が存在しているのも、恐らくここに起因している。

このブログの中でこの件について触れるかどうか、かなり迷っていたのだが、「私」という人間がブログを書く上でやはり外してはならないファクターであると思ったので、今後はこうした話題もちょいちょい織り交ぜていこうと思う。中にはジャニーズやK-POPなど、趣味の部分と絡めてどこかでポップでハッピーに発散しないと辛くなってしまうような濃いハナシもあることだし。*1

因みに、私が幼い頃から身を投じている伝統芸能の世界というのは、ジャニーズファンに「現代と古」という新しい世界を魅せてくれた今野貴之くんが習っているアレ、である。

当然、私の中で「第1次ジャニーズブーム」が起こっていた頃も、東方神起ジェジュンを盲目的に追いかけていた頃もずっとこの世界にいたわけだが、当時とは置かれている状況が異なっている。この数年で私の立場が大きく変わってしまったのだ。

 

というわけで、今日は日ごろ大変お世話になっている他流の先生の舞台に、来賓として招待頂いた。今日ばかりは大きな絆創膏をつけていくわけにはいかなかったので、顔のケガが大分良くなっていたことにほっとした。流派の先生方には丁重すぎるおもてなしを受け、大変素晴らしい1日だった。ここ最近、考えなくてはならないことがとにかく多かったので、舞台に集中することで久々に邪念から解放されたような気がする。

私も前々から気づいていたことだが、私は何かにハマり込んでしまうと、それが生活の大きな部分を占めてしまう節がある。以前の記事であれだけ「ハマったら最後」と大騒ぎしていた私だが、伊野尾慧という沼に本格的にハマってしまい、この3週間足らずの間で生活が一変してしまった。「ていうかこのところ、あんた喋り出したら「いのちゃん」しか言ってないよ?言わなくても何かしら絡めてくるよ?」とは、最近私と一緒に9人分の「君がナンバーワン」のモノマネを極めるべく頑張っている友人Kのお言葉である。───犯罪だと騒いでいたくせに、なんだかんだ彼女もこの短期間で見事に沼に片足を突っ込んでしまった。余談だが、彼女のチャームポイントは「薮」の語アクセントがおかしいところである。

という話は置いておくことにして。今回来賓として招待頂いた舞台は、私が伊野尾慧にハマり込んで初めてのオシゴトだった。「軽装でいらしてください」とのことだったので、和服ではなく洋服を着て行ったのだが、その胸元に差すコサージュの色で頭を悩ませた。どうせ新調しなきゃいけないから、青いの買いに行こう。───だめだ、この発想はだめだ。沼だ。ドツボだ。結局、店に置かれていた青のコサージュの中で気に入るものがなく、ピンクにしたのだが、その瞬間よぎったのは知念くんの零れんばかりの笑顔。「やっぱり君がナンバーワン♡」───知念くんありがとう。なんだか頑張れそうな気がする。あーでも着物用の髪飾りもそろそろ新調しなきゃだから、そっちは青にしようかなあ。───私の脳内はこんな風に、かなり残念な意味でJUMPの皆さんに浸食されている。大丈夫か私。20代も半ばに差し掛かろうとしているのに、中学時代から衰えないこのテンションが恐ろしい。

これだけならまだいいだろう。だが、私の危ないところは、脳内の半分が伊野尾慧で占められているが故、友人Kが指摘するように「口を開けばいのちゃん」状態ということである。全く関係ないところに伊野尾慧をぶっこむ私。気づけばオチは伊野尾慧。危険すぎる。───が、今回はぎりぎりセーフ。来賓あいさつが回ってこなかったのだ。

とまあ、こうした場面でもジャニオタとしての危ない綱渡りをしている私である。今回は何とか乗り切ることができたが、問題は来週だ。自流が所属する連盟の大会で、総合司会を請け負っているため、1日マイクを握っていなければならないのである。つまり、開式前にお客さんを待たせている時間や、舞台転換中などの所謂「場繋ぎ」の際のトークの担当も私である。───危ない。すべてが危ない。

 

このブログには、これからこうした綱渡り記録もしっかり書き残しておこうと思う。───未来の自分のために。*2

*1:私のブログにおける「ポップでハッピーな発散」とは、ケガやパンクの記事にみられるようなテンションで自分の身に降りかかった出来事を書き綴ることである。さらに余談だが、この「ポップでハッピー」というフレーズはやたら使い勝手がよく、このフレーズをはめ込めるところにはどこにでもガシガシはめ込んでしまう節のある最近の私である。

*2:とはいえ先日高校時代に書いてたブログを読み返していたが、現在とテンションが大差なくて(成長の跡が見えなくて)焦ってしまった。一体私はこの間に何を学んできたのだろうか…