パンプスがないと生きられない

プリプリプリティな彼に再びどハマりした今野貴之系ジャニオタの綱渡りの日々

キミチュウドク

私は本当に、びっくりするくらいよく眠る。

寝つきがよく、「いつまでも寝ていいよ」と言われたらいつまでだって眠り続けることができる。しかも、一度眠り込んだらなかなか目が覚めず、寝起きがびっくりするくらい悪い。どんなに長い時間眠っても、だ。睡眠障害を疑われたこともあるのだが、ワーカーホリックなのだからまあこのくらい仕方ない、が私の口癖である。同期も同じようなことを言っているのでまあいいだろう。(いいのか)

そんなわけで、昨日の夜仕事から帰ってきた私は「少し休憩」のつもりでベッドに入り、そのまま化粧も落とさず(ケガをしていても化粧を欠かすわけにはいかない)、風呂にも入らず、そのまま眠り込んでしまった。───今日の昼3時まで。

目覚ましを設定せず、ケータイもサイレントモードにしていたため、私の睡眠を邪魔するものの存在がなかったのだ。時間にして18時間程の睡眠───仕事の後に寄った美容院で施術してもらったヘッドスパのリラクゼーション効果であろうか。途中トイレに起きることもなく、ぐっすりであった。

こうしたゆったりとした「夕方活動開始」という日もまあいいだろう。が、サーティワンに駆け込み新作のお預けを食らった(本日分は売り切れとのことであった)のと、ワインとつまみを大量に買い込んだ(そして現在進行形で晩酌中である)くらいで(らじらーも聴いたか)あまりにも何もしていないので、今日という一日を無駄にしないためにも、「なぜ今、伊野尾慧なのか」について、自分のために整理しておこうと思う。

 

私はその昔、友人や家族も引く勢いのかなり熱狂的なジャニオタであった。当時好きだったのは、Ya-Ya-yah鮎川太陽である。きっかけは当時彼が出演していたドラマ「金八先生」の第7シリーズである。祖母に「同世代でしょう。見ておきなさいよ」と言われ、初めて見たのは、八乙女光演じる丸山しゅうがドラッグに手を出していたことが全校中の知るところとなり、金八先生が命がけで授業を展開した回であった。

当時私は彼がジャニーズだと知らず、インターネットで調べて度肝を抜かしたものである。あの迫真の演技、まさかジャニーズだとは。 

それと同時に、そんな彼の姿を必死に目に焼き付けようとする車椅子の美少年に心を射抜かれてしまったのである。彼こそが鮎川太陽であった。

まさか自分がジャニーズにハマることになろうとは。予想外の出来事に当初は驚きを隠しえなかったものの、一度「好きだ」と認めてしまえばすべては彼らの思うつぼ。この放送の翌日から、ネットで彼らの情報を集め、アイドル雑誌を買い込み、出演番組をひとつ残らず録画するという、ジャニオタライフが華々しくスタートしたのであった。

ジャニーズJr.であるYa-Ya-yahを追いかけていると、ほかのジュニアの活躍もたくさん目に入るようになってきた。中でも私の目を惹いたのは、当時J.J.Expressのセンターとして他のジュニアを牽引する存在であった伊野尾慧である。パッと見女の子とも見紛うあの容姿。一言では言い表せないが、なんだか彼の持つ雰囲気がとにかく好きだった。雑誌を買えば、「担当」である太陽くんの次にいのちゃんのページを見る。そんな勢いで好きだったのだ。 

そんなジャニオタライフの終わりは突然にやってきた。

今も忘れない2007年9月、Hey!Say!JUMPの結成である。旧Hey!Say!7をメインに据えたジャニーズJr.のコンサート内で発表されたグループ結成、そしてデビュー。全てが突然だった。思い返せば、コンサートの前から「何か重大発表があるらしい」とファンの間で噂が立っていた。当時ジュニアの中でも猛プッシュされていたYa-Ya-yah。私たちファンの間では、遂にデビューか?今回のコンサートで発表か?などと色めき立っていた程である。しかし、デビューが決まったのは新グループのHey!Say!JUMP。新グループの結成とともに、Ya-Ya-yahは事実上の解体を余儀なくされた。程なくして、大好きな太陽くんは事務所を退所した。メンバーの、ファンの、そして私の夢は、儚くも打ち砕かれてしまったのである。

ショックと共に、「ああよかった」という気持ちもあった。それは、私の好きないのちゃんがメンバーにいたからである。彼はJ.J.Expressの絶対的エースであったものの、所謂「弟組」の活躍に伴い、立ち位置が少しずつ後ろに下がり始めていた。今回のチャンスを逃してしまえば、彼はデビューできなかったかもしれない。そう思うと、私の中の奥深くから安堵のため息が漏れた。当時JUMPの結成・デビューについてはいろいろな意見があったかと思うが、私の知る限り、いのちゃんのデビューに関して異論を唱えるファンはいなかったと思う。本当によかった。でも、これからは陰ながら応援していこう。───そんな決心をして、8年近い月日が経った。

8年の間に、彼らにも、私にも、いろいろなことがあった。

私は友人の影響で東方神起にハマった。人生初のファンクラブ入会、そして人生初のコンサート!前から4列目という「神席」で見た彼らの姿は、今でも忘れることができない。好きになってからものの1年ちょっとであの事件があり、再び「大人ってむごい!」と思わされてしまうのだが、それでもまだ彼らのことをこよなく愛している。イチオシはセンターのジェジュン。───そう、私は何を隠そうド面食いである。

彼らのこの8年間について、詳しくは知らない。ただ、「8年」という時間が順風満帆に過ぎていったものではないと言うことだけは知っている。かつてジャニーズの「エリートコース」と呼ばれた彼らだが、きっと並大抵ではない苦労をしてきたはずだ。

久々に彼らのことを追いかけるきっかけになったのは、「らじらー」だった。MCがいのちゃんと光くんという、昔私が大好きだった人たちだと知り、長い長い通勤のお共になんとなく聴いてみたらとにかく面白い。そして動く彼らが見たいと思い、なんとなくネットで検索していたら「キミアトラクション」が引っかかった。「キミがナンバーワン」と一番に囁く、あの頃と変わらない彼の姿に、8年前で止まっていた時計が、少しずつ動き始めたのだった。

時計が少しずつ動き始めたのとほぼ同時に、現実世界での私の「好きな人」と「Facebookでいうところの複雑な関係」になってしまった。寂しい時に心の隙間を埋めてくれていたジェジュンは韓国男児としての義務を果たすべく、軍に服務中。二重の心の寂しさを埋めるべく、私はひたすらテレビやラジオに出るいのちゃんを追いかける日々が続いた(このタイミングで世間でいうところの「伊野尾革命」を起こしてくれたのだからもう神と呼ぶしかない)。

昔は毒のない清廉潔白な大天使で完全無欠の王子様だった(私の中ではこんなイメージしかない)いのちゃんに、こっちがびっくりするくらいのヘタレっぷりや、山田くんに「平成の高田純次」とまで言わしめたテキトー発言、あらゆる切り口からのド変態発言等々、美しい顔に似合わないギャップを見せつけられてしまった。ああどうしよう。ますます好きになってしまった。───そう、私はギャップのある男性にも弱いのである。

そんなわけで、どこまでも私のツボを心得ている「伊野尾慧」に見事に片足をずっぽり取られてしまい今日に至る、というわけである。

 

もうキミチュウドク、症状は深刻そう───なんて、よく言ったものだ。